この研究は英国内乱および共和制期の王党派に対する検閲および政治社会的な抑圧が彼らの詩にどのような影響を与えたかを考察したものである。議会派の言論統制が徐々に厳しさを増すなか、歌・俗謡・連祈等のブロードサイドの出版点数は1647年をピークに減少し、同時にこれらの詩には仄めかしや謎めいた表現が目立つようになる。つまり、言論統制は彼らの試作の阻害要因となる一方で、そこに皮肉や婉曲表現を付与する役割を果たしたと言える。一方、手稿のかたちで回覧されたり本として出版された詩はこれとはやや状況が異なっている。これらの詩はまず読者層が限定されていたし、ジャンルにおいても恋愛詩、頌歌、牧歌、瞑想詩といったいわば貴族的部類に属するものであった。興味深いのは、大衆プロパガンダといったものに無関係と思われるこれらの詩にも何気ない発言や描写を装った政治的言及が満ちており、その政治的含意をカムフラージュする仕方も大衆的なジャンルの詩に比べて遙に手が込んでいるという事実である。そして、ここから次のことがいえるだろう。これらの詩の隠蔽性は、言論統制がその一因であるにしても、本来的に隠蔽を好む王統派的精神性によって内発的に動機づけられている。つまり、彼らが存続を望む王政や主教制という階層的秩序はいわゆる本体論的な知/権力システムであり、そこでは究極的な実体や真理が常に「遅延」され、何らかの別の記号によって代用されなければならない。そのため、隠蔽性が彼らの言説に共通する特徴となるのである。言論統制は必ずしも彼らの詩作を阻害したわけではなく、むしろ彼らの政治社会的に動機づけられた隠蔽性への指向と合致した詩作環境を与えることでそれを促進したと考えられる。
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