本年度を以て「19世紀英国演劇と劇場装置の発達の研究」を終了するため、最終年度であるこの1年間は、もっぱら文献の読解と資料収集を中心に活動を行った。その成果の詳細については5月に刊行予定の報告書に譲るが、その概略及び今後の課題となる問題点についてここで略述する。本研究は平成10年から11年の奨励研究「19世紀大衆演劇とその成立背景についての研究」の後を受けて始まったものであるが、その基本姿勢は、産業革命以後の技術革新の恩恵が社会に様々な形で還元されていく様子を探ることで、イギリス人の精神生活の変容を見てみたいというものであった。そのため、従来ならば演劇を見る側だったはずの一般庶民までが、安価なプロードシートや犯罪者の告白録などといった粗悪なメディアを通してであれ活字に親しむようになったことを契機に、大衆演劇という自己表現手段に接近していく様子を探ろうとしたのが前回までの課題であったし、今回の課題においては、近代的な劇場装置が導入されることで劇場そのものの形態がどのように変化したか、役者や台本に求められるものがどのように変化したかの2点を中心的テーマとして研究を開始した。これに対する仮説として、改装や建て増しによって劇場の収容人数が大幅に上昇したために、細やかな演出によって見せる演技ではなく、派手で見栄えのする「名優」に対するニーズが高まったであろうことが予想されることや、従来の劇場では演出不可能だった様々なハイテクが導入されることで、演出効果は格段に上がったであろう一方、見栄えのする場面さえ含まれていれば、人数が増大した結果、その質を落とした観客が満足するようになり、作品の完成度はないがしろにされたであろうことが予想された。研究の結果、この2つの仮説の妥当性はある程度証明できたと考えられる。ただ、以下に述べるような問題点が出てきた。すなわち、17世紀半ばの王政復古以降のイギリス演劇は、ヨーロッパ大陸の演劇、特にイタリアのコメディア・デラルテとフランス宮廷で人気を博していた演劇の影響を多大に受けており、これら大陸の演劇動向を知らずにイギリス演劇のみを独立して論じることは不可能であると言う点である。今後はこの方面についての研究を進めたいと考えている。幸い、今回までの2度の科学研究費補助金のおかげで基本的文献はイギリスに関してはほぼ揃っているため、今後はフランス語を今一度復習し、フランス古典劇(ラシーヌ、モリエール)などを読んでいく予定である。
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