今年度は、昨年度に引き続き近代初期英国における教会裁判所(Church Courts)の訴訟記録を渉猟し、そこから析出された中傷(slander、defamation)の概念を研究視座に据えて、同時代の中傷文学において表象された「中傷」を分析した。今年度の主たる研究対象のひとつである、ShakespeareのMeasure for Measureにおける「中傷」に関して得られた新たな知見は、以下のとおりである。 1.Measure for Measureにおける裁きの場は、中傷に関する言説を文書化・エクリチュール化するという意味で、近代初期英国の教会裁判所の役割と等価の役割を担っていること。 2.本劇の裁きの場のような、中傷をめぐる言説がエクリチュールと化する磁場においては、「中傷」は登場人物と観客(読者)の脱構築的読解にさらされ、「中傷」は対極に位置するはずの「真実」に容易に反転し、また逆に、「真実」は「中傷」に反転すること。 3.Measure for Measureにおいて表象される「中傷」は、Natalie Zemon DavisがFiction in the Archives(1987)で詳述する、近代初期の「恩赦」の観念と密接に結びついており、2で指摘したような「中傷」概念の反転現象は、「中傷」と恩赦が切り結ぶさいに、その表現の場を与えられること。 4.Measure for MeasureというShakespeareの劇的世界においては、「真実」には「中傷」が、「中傷」には「真実」が、言説の揺らめきを支えにしながら、寄り添っていること。
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