トマス・ハーディ(1840-1928)の小説を長年研究してきた私は、その成果を『「女」という制度-トマス・ハーディの小説と女たち』(南雲堂、2000年5月)として上梓しました。この本ではフェミニズムの視点からハーディの小説を時代のテクストとしてとらえ、ハーディの小説の女たちがもつ時代を越える新しさと、時代に縛られた古さを読み解きました。今回の研究はこの本で扱ったことから必然的に発展したもので、ハーディ文学の根幹にある問題、すなわちハーディと二人の妻たちとの関係に焦点をあてて、ハーディ文学の生成の過程を考えようとする試みです。ハーディが生涯恥じた貧しい出自という「クラス」意識、そしてその「クラス」意識と密接に関わりあった二人の妻たちとの「ジェンダー」という関係、こうした三人をめぐる関係性のなかから、ハーディの文学は生まれたのであり、そこをみつめないかぎり、ハーディの文学の真の理解は難しいと思います。最初の妻エマとの出逢い、不和、ついでエマの屋根裏部屋への引きこもり、彼女の死、そしてその死を契機に書かれた"Poems of 1912-13"、さらに第二の妻フローレンスの登場とハーディ自身が書いた自伝でありながら、フローレンスの名前で発表された『伝記』といった奇妙なさまざまな事情は、ハーディと二人の妻たちとの関係に実に興味深い「クラス」と「ジェンダー」のイデオロギーの交錯をみせています。このハーディと妻たちとの「クラス」と「ジェンダー」の関係性を探り、そこからハーディ文学生成の鍵を見つけ、ハーディ文学に斬新な視点を導入することがこの研究の目的です。全体の構想はエマとの出逢いからフローレンスの死までという膨大なものですが、ここでは時間の関係で初めの3章を扱っています。1章はトマス・ハーディと最初の妻エマ-ライオネスの出逢い、2章は結婚から『帰郷』へ、3章はウエセックス・ノヴェルズへの道です。
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