本年度は、『フィネガンズ・ウェイク』の第一巻第五章から第二巻第一章までを範囲とし、現行のテクストに到る創作過程を比較・検討しながら、そこに埋め込まれている知の方位を析出した。具体的な作業としては、第一草稿から最終の校正刷りに到る十段階をパラグラフごとに比較・検討し、その主要な意味の束を確定し、章ごとの仕組みを探ることにした。テクストが織りなす言語上の実験が基本的な意味の束を拠り所としていることは前年度に確認済みであるし、表層の意味の氾濫を楽しむためにも、基本的な束を確認することの必要性も再認識した。そこで重要となるのがテクストを支える知の方位である。 本年度は手紙、クイズ、創作、風景、ゲームといった方面から知の問題に取り組み、芸術創造が原初的なテーマと密接に関連していることを明らかにした。しかし同時に、『フィネガンズ・ウェイク』が十八世紀小説のように読者との同調を希求しながら展開されていることにも気づくことになった。それがテクストのかかえる問題への補助的な役割であるのか、それともテクストの戦略なのかは、今後の検討事項として念頭に置いておかなければならない。おそらく、改稿を加える度に濃縮化されるテクストをにらみながらジョイス自身が伝達問題に不安を覚えたとするなら、それが最終段階でのことなのか、それ以前の段階でのことなのか、確定することは可能であろう。ともあれ、このテクストが完全な読み、受動的な読みを阻んでいることの証左である。
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