研究概要 |
3年間の研究をとおして明らかになってきたことは、フランス現代詩には、いわば超越的なものとのアンビバレントな関係のなかから、そのアンビバレントな場自体をひとつの開かれた可能性の場とみなすような詩行為が生まれてきつつある、ということであった。その動きにあえて言葉を与えるとするならば、<限界点としての今・此処>から<敷居としての今・此処>となろう。それはある意味で、現代詩の始まりの地点と目されるランボー詩から発して20世紀のフランス詩をつらぬいた、絶対的外部との対峙の過程を経て行きついた地点とも言える。そのことは報告書の「敷居としての今・此処へ(前書きに変えて)」に大略まとめておいたが、そうやって行きついた地点を代表する詩人のひとりが、Philippe Jaccottetであり、成果報告書はこの詩人についての論考を中心にまとめたものとなっている。すなわち、「敷居としての今・此処へ(前書きに変えて)」/「ポエジーとキリスト教…P.J.Jouveの『血と汗』について」/「フィリップ・ジャコテ『ルソン』の語るもの」/"Philippe Jaccottet et le haiku,…surla poetique du on"/「生と死、有と無、ポエジー…Philippe Jaccottet : Leconsを考える、訳す…」である。 また本研究期間中またその後に、本研究の成果として次の学会発表を行った。すなわち、「フランス現代詩と超越性」(日本キリスト教文学会)/「アルチュール・ランボーの<我は一個の他者である>について…jeの彼方としてのon」(「価値語の様態と構造」研究会)/"Vide ou plenitude…etendue metonimique du haiku" (Colloque "L'ecriture du peu et le haiku : Vide, fragment, emergence dans la peosie contemporaine")/"Rimbaud et Jaccottet : vers une nouvelle harmonie?" (Colloque "Arthur Rimbaud a l'aube d'un nouveau siecle")である。 これらすべての活動をとおして、フランス語による詩の現代における展望のみならず、それを日本語の詩との対照的関わりへと開く視点をえられたことはおおきな収穫であり、この研究の機会を与えてくださったことに深くお礼申し上げたい。また、様々な理由により報告書の提出が遅れてしまったことを、お詫びいたします。
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