ヘルシンキ大学教授レーナ・レーフシュテット女史が1992-1997年に4巻の校訂版を上梓した中世フランス語版『グラティアヌス教令集』は今まで学界で知られていなかった資料である。フランス語史の観点からこの資料の語彙を網羅的に検討し、言語地図・各種辞書を活用しつつその作成地域の特定とその地域に固有の単語をつきとめ、単語の初出に着目して従来のフランス語史の情報を補完する要素を明らかにする、といった作業を行った。ノルマンディ地方でしか見られない単語を特定することができ、また、従来知られていたより早い時期にこの作品で使われていることが判明した単語は多数ある。その結果はハイデルベルク大学で作成されている『古フランス語語源辞典』の執筆者にすでに伝えてあり、辞書の中に反映され始めている。語彙調査のかたわら、校訂版と写本(ブリュッセルの王立図書館所蔵)のマイクロフィルムを比較検討し、校訂版に見られる多数の誤りを訂正することができた。また、中世フランス語版『グラティアヌス教令集』以外の中世フランス語の諸作品の校訂版の再検討も平行して行い、とりわけゴーチェ・ド・コワンシー『聖母の奇蹟』と『師父の生涯』という13世紀の作品とその語彙の研究を行い、それらがゴトフロワの『古フランス語辞書』の中でいかに扱われており、その扱い方にどのような特徴があり、いかに多くの誤りを含んでいるかを明らかにすることができた。フランス語史の従来の知見を訂正するような発見がいくつもなされたのである。
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