体系的研究の少ないエロスとナショナリズムの繋がりという問題を、ナショナリズムを、権力や支配、抑圧という政治・経済的な現象としてのみならず、美学的現象としても捉えることによって考察する本研究は、そもそもその視点の独自性において貴重なものであるが、その成果は以下の3点に要約できる。 まず、論文『ドイツ青年運動におけるエロスと教育』においては、今日では忘れられた運動の理論家たちの言説を、グスタフ・ヴィネケンを中心に丁寧に掘り起こすことによって、「共同体」を志向する男性同性愛賛美者として反動的であると同時に革命的でもあったかれらのアンビバレントな実態を明らかにしている。 次に、同性愛者にしてラディカルな反ファシズム亡命作家であったクラウス・マンの代表作『火山』を綿密に分析することによって、かれのエロスとナショナリズム観を考察した。すなわち、『火山』は、「闘争」における狭い意味での政治的・社会的問題を扱うリアリズム小説という従来の一般的評価の枠に留まる作品ではないが、かといって、一部の研究者が主張するような、もっぱら「死とエロスの不可分性」をテーマとする非政治的でロマン主義的な作品でもない。それは、まさに政治的・社会的問題と個人的・審美的問題の関連そのものをテーマとする小説であることを示した。 最後は、そのクラウスの評論『ナチズムと同性愛』のオリジナル原稿へのトーマス・マンの書込みという資料の信憑性と重要性、および後者の未完の「フリードリヒ小説構想」を考察し、今世紀を代表するドイツのノーベル賞作家の危険を孕んだ大胆なエロスとナショナリズム観、すなわち「創造性」の根源としての両者の関連を検討した。
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