本年度はアイヌ語を記した江戸時代の文献の収集に務め、多くの新しい資料を見いだすことができた。中でも岡儀三郎「蝦夷語」は享和二年の奥書を有し、年代的に比較的古い点でも注目されるが、内容的にも外国人によるアイヌ語の最古の記録とも一致する、非常に特異な語形を含んでおり、この点で日本側唯一の文献として極めて貴重なものであることが明らかとなった。また、新しい資料の発掘、研究と同時に、「番人円吉蝦夷記」(以下「蝦夷記」)、「蝦夷チャランケ並浄瑠璃言」(以下「浄瑠璃言」)という二つのアイヌ語古文献を中心として文献学的、言語学的な研究を行った。「蝦夷記」は内容の豊富さと共にオホーツク沿岸方言の資料を含んでいるとみられる点で、また、「浄瑠璃言」は、明治以前の唯一の本格的なアイヌ英雄叙事詩の筆録テキストとして、それぞれ知られているが、「蝦夷記」については、これまで唯一知られていた流布本の他に、書名は異なるが別系統の写本の存在することが、この度の調査で初めて明らかとなった。また、「浄瑠璃」については、現代諸方言で知られている動詞活用の例外形を江戸時代に既に記録しているという点で、この現象の起源が少なくとも江戸時代に遡るということを証する、アイヌ語史上重要な文献であることが明らかとなった。なお、年代不明とされて来た「浄瑠璃」と他の文献との関係も明らかとなって来ており、成立年代をかなり絞り込める所まで研究を進めることができた。
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