研究概要 |
この研究によって以下のような知見が得られた. 『若きヴェルターの悩み』を読んだ18世紀の読者は,様々な推論的思考を通じて人生に関する命題を形成し,中には登場人物をまねて現実に自殺するものまで出た.関連性理論に従えば,『ヴェルター』という虚構の「入力」は,それ自体として「真」ではないが,読者の推論的思考とそこで得られる解釈という「出力」は,世界に関する真なる命題でありうる.虚構が,われわれの認知的環境の中で重要性を持つのは,人間にとって,情報の入力ではなく,入力を処理して得られる出力(解釈)こそが重要だからである. 伝達の理論である関連性理論が示すこの観点を核に据えることで,文学的虚構に関しても,またその前提にある虚構的存在者の存在性格に関しても,本質的な議論の見通しを立てることができる.虚構の修辞機構に着目する文学理論は,読者の認知システムに入力される言語的刺戟の特徴を記述する.しかし物語構造にせよ修辞表現にせよ,言語形式それ自体には真偽や虚実を刻印するものはない.言語形式から表意を計算し推意を推論する解釈メカニズムの中で,解読された言語情報が認知環境中で顕在化する様々な想定と関係づけられ,虚構的存在者についての想定と現実的な知識が,読者毎の個別的変異を伴いながら,出力されるのである.享受的態度に伴う情動的反応もまたこうした出力の一部である.文学的虚構の本質は,言語(意味論・言語哲学)によってではなく,言語がどのような仕方で認知的な出力を導き出すのかという観点から,つまり伝達の理論によって再規定されなくてはならない.
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