研究概要 |
この研究は,虚構作品の文体的様態や社会的機能ではなく,そもそも虚構が虚構として受容されるとはいかなることなのかを論究しようとするものである.この解明のために,以下の三つの観点,つまり言語哲学的・認知理論的・存在論的な観点からのアプローチを試みた. 文学的虚構とは,現実言及的ではない言語使用によって作り出された言説,およびその言説を創造し享受する行為の全体を指す.従って,まず言語使用の特徴をそれ自体として扱う言語哲学的な考察を試みる.もちろん言語そのものに現実言及と虚構との差異を刻印する特徴はない.差異は,言語を読解し解釈する際に,そこに描かれた人物や出来事に対してどのような態度で向き合っているかに応じて生じるのである.それゆえ,虚構を享受する際の「虚構のスタンス」(ラマークとオルセン)の特徴を明らかにした. しかしこの考察は,不可避的に,「字義通りに真ではない」情報から様々な派生的な表象や想定を組み立てることができる人間の認知的な能力への一般的な問いに結びつく.虚構の理解を,こうした広義のコミュニケーション過程の一部として説明しようとする場合,スペルベルとウィルソンによる関連性理論が重要な参照枠を与えてくれる.特に「隠喩」と対比しながら,虚構理解のメカニズムを一般的な表意と推意の解読・推論過程のもとで明らかにすることが可能となる. 虚構への問いには存在論的な問いが含まれる.意味論も認知理論も,虚構と現実の識別を「前提」とした議論であり,われわれが虚構のスタンスを所持することがそもそもいかなることなのかを説明しない.ハイデガーの存在論を参照し,またミメーシス概念を再解釈することで,不十分ながら,この問いへのアプローチを試みた.
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