これまでに出版されたラフカディオ・ハーンの書簡集からはもれてしまった、武蔵大学所蔵の書簡(ラフカディオ・ハーン、及びその友人のジョセフ・テューニソン他)を整理し、その背景にある人間関係を明らかにすることを試みた。これにより、ハーンの死後ハーンの伝記執筆を巡って争われた友人たちの思惑や、ハーンと彼らとの人間関係が再び明らになった。特に、これらの書簡を所有していた、ジョセフ・テューニソンとその相談相手であったアレクサンダー・ビル(ハーンとの直接の交渉はないが、シンシナティの出版界の状況に明るく、ビスランドやグールド、ワトキン、クレービールなどとも個別に文通)との交友をたどると、いわゆる公式ハーン伝の出版を巡る一連の争いの実態が辿れた。しかも、この争いは、それぞれが文筆を生業としていたことから野心をもっていたにとどまらない。ハーンの伝記を書くにあたり問題となったのは、ハーンのシンシナティ時代の同棲事件であった。この取り扱いをめぐって、そのゴシップからいかにハーンを守るかが焦点となったことがテューニソンらの往復書簡を通して明らかになった。公式伝記の作者、ビスランド以外にハーン伝の出版を実行した、ヘンリー・ワトキンとジョージ・グールドのそれぞれの作品とビスランドの作品との比較が、彼らの書簡の背景にはある。特に、グールドの作品はゴシップを超越して、かなり入り込んだ形でハーンの性格を分析したことによりハーンの友人間に騒動を起こしたのである。その当事者たちの反応や対応の実態がこれらの一連の書簡に克明に読み取れた。 なお、ワトキン、グールドのぞれぞれの出版がもたらした影響を二回(2001年2月と7月)にわたって、本務校の国際関係研究所の雑誌に論文として発表した。また、口頭発表としては、日本比較文学会の東京支部の例会(2001年11月、東京大学教養学部にて)で発表した。
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