ゴーリキー受容を相対化するために昨年度行った啄木の海外文学受容の再検討をふまえ、引き続き、今年度は明治期ゴーリキーの翻訳、紹介記事を雑誌、単行本を中心に収集し、文献目録を完成させた。その作業を通し、当時のゴーリキー文学理解、及び、ゴーリキーイメージの形成過程が明らかになりつつある。また、ゴーリキーの受容が明治期の時代状況と如何に関わり合っていたのか、現在考察中である。 啄木においては、ゴーリキーの伝記と啄木の伝記を比較することで、啄木がなぜゴーリキーに親近感を持ったのかの傍証が可能となった。具体的にいえば、「放浪」「結核」「職業の変遷」「社会主義革命への支持」等である。啄木が当時文壇全般のゴーリキー受容からこれらの情報を得たのではないかと考え、再検証している。 作品に照らせば、啄木は「鷹の歌」「オルロフ夫婦」「三人」を読んだと考えられるが、今回の調査の中で「嘘吐きの鶸と真理の愛好者-啄木鳥について」が啄木のペンネームに何らかの影響を与えた可能性を新発見できた。また、「三人」をどうしてあれほど熱心に読んだのか、本文を丹念に追い、当時の「ローマ字日記」と照らし合わせることで、イリアを鏡に、従来からの指摘である「家長」からの逃亡願望だけでなく、「死」への願望が助長され、それが啄木の「赤インキ」という作品にも投影されていること、また、「ローマ字日記」に見られる「性規範からの解放」願望には堺利彦らの社会主義者の思想の影響があることを以前論者は指摘したが、それを作中のタチアナがほぼそのままの形で語っている言葉があることを発見した。明治41.2年の啄木の心理と相似形を成していることがわかり、啄木とゴーリキーの結びつきの強さが論証可能となった。 以上の内容を名古屋大学での口頭発表をふまえ、現在、論文執筆中である。
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