本年度はまず、昨年度分析・検討した「アンスティー事件」関連の5史料を中心にして、改めて1158年の提訴から1163年の判決に到るまでの本事件の経過全体を整理する作業をおこなった。これによって、当該期のイングランドにおける世俗裁判権(国王裁判権)と教会裁判権(地方教会としてのカンタベリ大司教裁判権と上訴裁判権としてのローマ教皇の裁判権)の間での協働関係の具体的様相を明らかにすることができた。とりわけローマに上訴するためには国王の許可が不可欠であると関係当事者によって認識されていた点は、本事件の後王権(ヘンリ2世)と教会(カンタベリ大司教トマス・ベケット)の間での関係が悪化する契機となった1164年のクラレンドン法第8条における上訴許可制が(国王側の主張通り)「王国の慣習」であったことを再確認させるものである。 第二に、教皇に対する上訴とこれをうけての教皇受任裁判に関する検討からは、両当事者による主張と証拠提出の後判決の宣告以前に当事者によって上訴が行われていることも含めて、婚姻という社会の基本問題に対して最終的判断は教皇が握るという体制が法的に確立していく過程を確認することができた。 なお、近い将来、研究報告書とは別に詳細な研究成果を公けにする予定である。
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