本研究によって得られた新知見は、次の3点に要約することができる。 第一に、当時における法曹の存在構造。教会裁判所における学識者の活躍は、書面主義の採用への対応と見ることができる。他方、国王裁判所における「訴答人」あるいは「援助者」の具体的な役割は不明である。 第二に、王権と教権の関係。本事件からは、当該期のイングランドにおける世俗裁判権(国王裁判権)と教会裁判権(地方教会としてのカンタベリ大司教裁判権と上訴裁判権としてのローマ教皇の裁判権)の間での協働関係の具体的様相が明らかとなった。特に、本事件の後王権(ヘンリ2世)と教会(カンタベリ大司教トマス・ベケット)の間での関係が悪化する契機となった1164年のクラレンドン法第8条における上訴許可制は(国王側の主張通り)「王国の慣習」であったことが確認できた。また教皇受任裁判は、婚姻という社会の基本問題に対して最終的判断は教皇が握るという体制が法的に確立していく過程を示している。 最後に、本事件の婚姻法史上の意義。婚姻成立要件として、合意と完行(肉の結合)のいずれを決定的とみなすかという当時の大問題に対して、本事件の結論は前者に重きを置いた。これは12世紀後半以降主流となっていくパリ学派の見解であるが、本事件はそのような大きな流れをつくった原動力と見ることができる。
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