本年度は研究実施計画に書いたように、昨年度から収集してきた資料を更に充実させるべく、群鳥県立文書館に3回、京都府立総合資料館に2回、調査に赴いた。小作争議表、小作調停受理・結果報告書、自作農創設維持計画書、地主所蔵文書などを中心に、群馬と京都という二つの地域での地主小作関係の現代的変容を考察するためである。今年度の科研費は、この調査にほとんど費やしたといっていい。 ここからわかったのは、京都の場合、1927年頃から小作争議解決の方式とでもいうものが登場することで、小作調停条項であらかじめ検見対象地を決めておき、地主小作立会のもと、農会の技術者が厳密に収穫量を測定し、収穫量を前提に機械的に減免額を決定するという手続の設定にまでいたっているということである。地主小作立会のもとの検見というのは、それ自体としては、江戸時代からのムラ仕事としてなされる「ムラ決め」の延長線上といえなくもないが、これを調停条項として、法的強制力を持たせたところにこの時代の特徴がある。とりわけ、争議の際の「当事者間の合意」を制度的に排除してしまった点で、地主小作人間の対立が極限にいたり、ぎりぎりのところで小作関係を継続するためこのようなシステムが生まれたと思われるのである。農林省発行の「小作年報」所載の調停条項例で見ても、京都と新潟くらいでしか見られない特異なシステムである。 これにくらべると、群馬では、そもそも京都のように、小作料減額免除システムをあらかじめ決めておくという解決方法が少なく、一回きりの減額や土地返還を決めるものが圧倒的に多い。例外は、全国的に「無産村」として名をはせた新田郡強戸村と、隣村の山田郡毛里田村である。この2村では争議が激甚に戦われたが、これを反映して調停条項も、当該争議以降の減額免除規定を定めるものが多い。ただ、その内容を見ると、地主小作両者からなる「委員会」をつくってここで合意するとなっているものがよく見られ、京都のように合意の契機を排除するところまでいっていない。強戸村の場合、村政も小作側が握ってしまうという特異な事態があったにせよ、従来の「ムラ決め」的要素を引きずっているといっていい。 この相違が、農地改革期にも現れ、京都の場合は、農地改革は自明のことで、次のステップが考えられていくのに、群馬では、農地改革自体に大きな力が注がれる。農地法下の農民のあり方もこれに規定されたものとなるのである。
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