本研究の出発点は、中国人の法に対する意識・感覚が、日本人や欧米人のそれとどのように異なるかという問題を、歴史的に考察するところから始まった。その際注目したのは、唐宋文献中に多く現れる「守法」「守正」に関する一群の史料である。中国語の「守法」には、単に法を遵守するという用法の他に、上述した諸例に共通して見られるように、主として官人が、皇帝の命令に抗して命がけで法(あるいは被告の生命)を守るという用法がある。 すなわちIの蕭鈞は、宮人のために通信の手助けをした太常寺の楽工の宋四通を擁護し、皇帝の命じた死刑を流刑へと減刑させた。 またIIの太常寺工戸の安金蔵は、酷吏来俊臣等の拷問に耐え、自ら胸を切り裂いて主人(睿宗)に対する忠義を示し、武則天の糾問を中止させたのである。 さらにIIIの戴胄は、太宗の義兄に当たる長孫無忌が、帯刀のまま皇帝の居室に入った事件において、それを見逃してしまった監門校尉の死刑の是非について論じ、身分による刑罰の不公平を批判して、結局無忌と校尉の免罪を勝ち得たのである。 しかしこれらが当時の官人達の一般的行動様式であった訳ではない。皇帝の命令が実定法を越える最高の法であった伝統中国では、皇帝の命令に反することは、ほとんど生命を賭すことと同義であった。従ってこれらの諸例に、ただちに中国人一般の遵法精神の源流を見ることはやや短絡的であろう。むしろ「守法」と名づけられる行動様式の時代性、階層性および諫言の伝統をこそ見るべきであろう。
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