平成9年には「行政改革会議最終報告」が公表された。そこでは、官庁主導の事前規制体質から決別して、市民社会における諸個人の自由な営為を原則とする「事後規制」への政策転換が提言された。誰もが、公正で、透明な事後的救済手段に訴えうる社会へと、わが国は向かおうとしている。 公正かつ透明で、誰もがアクセスしうる救済手段とは、司法的解決を指す。行政改革会議のやり残した課題は、司法制度改革審議会へと引き継がれることとなった。 司法制度改革は、日本の社会全体に「法の支配」を浸透させるための改革である。平成13年の司法制度改革審議会意見書が「専門職大学院としての法科大学院」構想を公表したのも、それが「法の支配」実現のための必須の装置だと考えたからである。 本研究は、司法制度改革の方向性が定まりつつある今、《司法作用は、国家による公共財の提供である》という命題を論証するにあたって、「法の支配」の意味を真剣に受け止め、それが特権の排除、さらには自由の保障と関連していることにふれる。特権の排除という観点からすれば、法曹養成を国家独占によってなさしめ、法律相談業務を弁護士に独占させている現行法制度に憲法上の疑義がいだかれてしかるべきである。 司法制度改革革審議会最終意見では、国民に開かれた裁判制度を実現するために、「裁判員制」が提言された。陪審でもなく、参審制でもない、この新種があえて選択された背景には、陪審法制定にあたって交わされた憲法論議がある。 司法制度改革は、司法の世界に、分業・分権の体制を持ち込む目論見であると私は診断している。分業と分権は、ある意味で市民社会の基礎である。また、それは、国家の正当な役割は何であるか、という憲法学の究極の課題をも考えさせずにはおかない。 本研究は、私の永く探求してきた「国家と市民社会」の関係を、司法へと焦点を絞って再考する意味を持っている。
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