マッカーサー主導で作られた日本国憲法は、極東委員会の場でさしたる抵抗も受けずに発効するに至った。これはいかにして可能となったのか。この問題をあらためて検討してみようというのが本研究の目的である。 自己の承認した憲法案をそのまま成立させようとするマッカーサーの意地が結果的にはほぼ通ったかたちで日本国憲法の成立をみたが、それは、陸軍省(ことに、作戦部)の強力なバックアップ抜きには不可能なことであった。本研究の課題は、この両アクターに焦点をあてながら、ワシントン(米国の政策中枢)、極東委員会、マッカーサー司令部の3者の応答関係の中で日本国憲法が成立するに至る経緯を実証的に跡づけることにあった。 3年間の研究期間に、概ね満足できるだけの資料を収集することができ、上記の観点からする日本国憲法の成立経緯についても、ほぼその概要をつかむことができたと考えている。そこから見えてきたのは、マッカーサーの立場を陸軍省が支え続けることにより、彼に批判的な国務省(バーンズ長官)が押さえ込まれ、極東委員会も骨抜きになっていく過程であった。 従来の、単純な「マッカーサー中心史観」に立つ憲法制定史理解は、本研究により抜本的な見直しを迫られることになろう。また、本研究は、冷戦形成過程における陸軍省の役割についても新たな知見を与えるものといえる。
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