本研究は、私立学校における教育が「公」教育であるという側面と、それが「私立」学校により担われているという側面のアンビバレンスからいかなる法的帰結が導き出されるかを検討することを目的とするものであった。 右目的を達成するための一つの視点として、本研究においては、教育の担い手である私立学校教員の法的地位如何という問題設定をした。法的地位を守る一つの重要な手段は憲法28条が保障するいわゆる労働三権であるが、そもそもの問題として、なぜ労働三権が憲法上の権利として保障されるに到ったのかを明らかにする必要がある。 ところがこの点の検討がこれまでの学説では十分ではなかったので、現行憲法の制定過程において労働三権が憲法上の権利とされるに至った理由を解明することを試みた。また、私学教員と対比できる存在として公立学校の教員が存在するが、公務員については労働三権が制限・禁止されていることの合憲性をいかに解するかは、私学教員の場合も同じく「公」教育の担い手であるということから、重要な問題となる。これらの点については、従来のような生存権理念を中心とした理解ではなく、むしろデュー・プロセスの発想から検討を進めるべきであるという見解に到達した。本研究においてはこの他、学校の教育現場で発生する諸問題を取り上げ、これが私立学校で処理される場合、公立学校の場合と比較していかなる差異が発生するかを分析しようとした。この点についてはしかし、研究を進めるにつれ、そもそも公立学校という教育現場において、発生する諸問題に対処する際のルールが判然としないという問題に突き当たった。そこで、問題を公立学校における所持品・身体検査にしぼり、それなりにルールの蓄積がある合衆国を検討対象として、研究を行った。
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