研究概要 |
1995年は、日本における二つの「元年」であった。 一つは、NPO元年である。阪神淡路大震災の深刻な被害を見聞きした国内外の市民が1,700億円の義捐金を送り、100万人以上の現地ボランティアの参加があり、これまで例のない規模で行政・企業・NPOとの連携がおこなわれたのである。 もう一つは、インターネット元年である。1991年にインターネットの商用利用が始まり、さらにWWWの開発によって、これまでの学術関係者や技術者を中心としたネットワークから、一般ユーザや企業などが利用する道が開かれて、爆発的にユーザが拡大した。日本においては1993年に商用利用が認められ、1995年には端末の劇的なコストダウンが進行し、Windows95の発売によって、初心者ユーザでも容易にインターネットを利用できるようになった。 このような二つの「元年」を経て、日本におけるNPO活動とインターネットとがはじめて接点を持つことができた。筆者は、以前、NPO活動とインターネットにとって1995年は画期的な転機であったとの指摘をおこなった1。しかし、その結びつきはまだ端緒にすぎず、実質的な意味での両者のコンバージェンスはおこらなかった。そこで、本稿では、それ以後に実質的に進行してきた両者のコンバージェンスについて考察する。 最初に、60年代半ばから現在までの参加民主主義の変遷を跡づける中で、「住民・市民運動」、「NGO」、「NPO」というキーワードと時期的特徴とを結びつける。次に、インターネットの歴史の中で、市民運動との結びつきを日米の相違について考察する。さらに、日本のNPOとインターネットとの関連を具体的なケースに沿って考察する。結論として、技術的には地理的範囲を越えるが、人間的には地理的範囲を超えることができない特性の中で、NPOとインターネットの双方にとってコンバージェンスすることが両者の発展を保障することを指摘する。
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