ウルグアイは南米で最も民主的な国家であったが、1960年代に伝統政党政治のイモビリズムからツパマロスの名で知られる都市ゲリラが台頭した。国家安全保障ドクトリンを信奉する軍部は、1973年から1985年にわたる軍事政権時代とそれに先立つ時期に自国民に対し「汚い戦争」をしかけ、人権侵害を犯した。 民政移管以後、文民政権は政府としての謝罪も真実和解委員会の設置もないまま、軍部の人権侵害を免責する法律を通過させた。一方で軍部は、国連PKOに参加しつづけ、とくに冷戦終結以後、参加規模を拡大してきた。過去の人権侵害を国民に謝罪しない軍部が、他国で民主主義の確立を支援することに対し、被害者たちはどのように考えているのか。 2000年3月に就任したホルヘ・バッジェ大統領は、ウルグアイに軍部による強制失踪者問題が存在することにはじめて言及した大統領である。彼は、2000年8月に国民和解のため「平和のための委員会」を設置した。軍部はこの委員会に協力しようとしない。軍部の思考においては依然として、「汚い戦争」で命を落とした兵士は、PKO殉職者がそうであるように、祖国を守った名誉ある殉職者なのである。
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