本年度は、バジョット、とりわけ主著『イギリス国制論』執筆以前の彼の諸著作について検討を加え、その政治的リーダーシップ観の特質の抽出を試みた。 バジョットは、『イギリス国制論』以前の政治的議論において、政治とは「ビジネス」であるという主張を、一貫して繰り返していた。この主張は、やがて、選挙制度や議会のあり方と関連づけられて展開されるとともに、政治的リーダーシップを担う人間の資質のあり方にまで及ぶこととなる。たとえば、「議会改革論」と題された論文において、バジョットは、ミドルクラス上層が政治を担うに足る能力を今や十分に獲得していることを力説し、この見地から、イギリスにとって望ましい必要かつ十分な議会改革の方向を示そうとした。バジョットによれば、土地貴族層のリーダーシップの基盤とされるリベラルアーツは、政治を担う資質を構成する唯一の教養ではない。「ビジネス教養business culture」もまた、その重要な要素となっている。これは、組織の全体を見通して目的と手段の整合性を把握する能力であり、さらに、商業社会のニーズを読み取ることができる柔軟な実践的能力であり、言うなれば、経営感覚・経営能力とでも呼ぶべきものである。バジョットによれば、これこそが、同時代のイギリスの政治家に求められている資質に他ならない。ちなみに、この資質を獲得したり評価することは、財産を持たない労働者階級には不可能であるとバジョットは考えている。 当時のイギリス社会では、土地貴族文化が依然として優位を保っていたものの、バジョットのこうした主張は、必ずしも説得力を欠いていたわけではなかった。なぜなら、土地貴族自身による金融分野への関与は前世紀から行なわれていたし、19世紀後半になっていっそう盛んになっていたからである。しかし、ビジネスの能力は、それ自体として、下層階級を含む国民全体を統合できるであろうか。これが、『イギリス国制論』での大きな課題となるであろう。
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