本年度は、昨年に引き続き、バジョットを対象に、その政治思想における政治的リーダーシップ観について分析を行なった。昨年度における彼の著作『イギリス国制論』以前の議論の分析を受け継ぐ形で、本年度は、『イギリス国制論』それ自体へと分析を進めた。 バジョットは、すでに、『イギリス国制論』以前に、手段を目的に適合させるという合理的行動に端的に示されていると見た上層中間階級のマネジメント能力を「ビジネス教養」として概念化するとともに、これを彼らが統治階級の一員たる資格を示すものとして扱っていた。しかしながら、上層中間階級をそのように特徴付け、上流階級との政治的ヘゲモニーの分有を主張することは、下層の労働者階級における「ビジネス教養」の欠如を自明の前提としていた。 第二次選挙法改正が迫りつつある中で、労働者階級の参政権が焦眉の現実的な政治的課題となっていく中で、バジョットのこのような労働者階級観は、一方では彼らを政治参加から排除して、国制の民主主義化やその帰結としての社会主義化を防止するイデオロギー的機能を持つものであったが、他方、それ自体としては、政治過程から排除された彼らをどのように統合するか、という課題に対して回答を与えるものではなかった。 実のところ、ミドルクラスの政治への参入と労働者階級の政治からの排除という、従前からの主張を行ないつつ、それと整合する形で後者の政治統合という課題に回答を与えることが、『イギリス国制』の最大の目的であったと言えるであろう。バジョットは、アリストクラシーに対するミドルクラス以下の信従の根強い傾向を念頭に置きつつ、彼は、信従(deference)を崇敬(reverence)へと微妙に意味転換するとともに、その崇敬の主体を労働者階級に限定し、崇敬の対象を、アリストクラシーから、国王へと移行させるという、大胆な理論操作を行なった。この離れ業によって、『イギリス国制論』は、後世に読み継がれていくことになるのであるが、しかし、他方、この離れ業は、ミドルクラス独自の文化的ヘゲモニー(ビジネス教養を労働者階級に貫徹させることに対する断念を意味していたことを忘れてはならないであろう。
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