本年度は、当初の予定を若干変更して、昨年度までのバジョット研究を継続し、とりわけ、バジョットの政治思想が19世紀イギリス政治思想史の理解枠組に対して持つ含意についての検討を進めた。 バジョットが、上層ミドルクラスの統治への参加を促進するという政治的立場から、とりわけ、統治者としての彼らの適格性を強調していることは、前年度までに検討したバジョットの諸論考から、十分読み取れるところである。その意味では、バジョットは、伝統的な土地貴族支配の政治とそれを支える政治的言説に挑戦していたことは間違いない。しかし、その挑戦は、統治者の適格性の伝統的基準であった「教養と財産」の再定義を通じて行なわれており、その限りでは、イギリス近代を貫通していると思われる正統性弁証論のパラダイムに準拠していると言ってよいであろう。 バジョットの政治論のこうした二重性は、実のところ、19世紀のイギリスにおける政治論の二重性を反映しているのではないか。「教養と財産」という基準の存続力が土地貴族の存続力の反映であることは、社会史的見地からしばしば指摘されているとおりである。しかし、政治思想史の見地からすれば、「教養と財産」という基準の背後には、たとえば、近代イギリス政治思想の中でも根強く残存し続けたアリストテレス政治学の伝統があったように思われてならない。 1860年代に至って、バジョットが国民統合を図るために尊厳的部分に対する下層階級の「崇敬」を強調したことは、res publicaから下層階級を排除することを自明視してきた伝統の揺らぎを示唆していると言えるのではないか。そして、そのように見るならば、この時期の政治的リーダーシップ論全般もまた、同様の揺らぎの中にあったと言えるのではないか。本年度に得られたこの見通しから、来年度は、とりわけミルとバジョットの対比を軸に、リーダーシップ論の類型化とその思想史的意義を追求してみたい。
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