今年度は、バジョットが『イギリス国制論』において、尊厳的部分に対する下層階級の崇敬を国民統合の契機として強調したことを手がかりに、「財産と教養」を持たない下層階級を政治から排除することを自明視してきた伝統的政治論の揺らぎ、という見地から研究を進めた。 1830年代においては、この伝統は、哲学的急進派のジェイムズ・ミルですら拘束していたと言えよう。なぜなら、彼は、寡頭制打破の急進的政治改革を提唱するに際して、「中等階級」を社会の一般的利益を代表する階級とみなした上で、若年者・女性・下層民の利益はこの階級の成人男性により十分配慮されていると主張していたからである。女性の政治参加を主張することになるJ・S・ミルですら、1830年代末の段階では、労働者階級への選挙権付与については消極的であり、実現可能な政治改革のプランとして、ミドルクラスを中軸とした改革構想を支持していた。 この伝統が揺らぎ始めるのは、再度の選挙法改正が現実のものとして議論されるようになった1860年代である。この時期、バジョットもJ・S・ミルも、上層労働者階級にまでは選挙権を拡大する方向でほぼ一致していた。両者は、理論的立場や将来構想では対極的であったが、目前の選挙法改正についは、下層階級にまでは選挙権を拡大しないという実践的判断を共有していた。ただし、バジョットにせよミルにせよ、それぞれの立場から下層階級の体制内統合を考えざるを得なかった点で、30年代には見られなかった状況変化をうかがうことができる。 現段階では論文としてはまとまっていないが、これまでの研究で得られた知見をふまえて、70年代以降におけるトーリー・デモクラシー論や帝国主義の進展をも見据えつつ、60年代のイギリスにおける政治的リーダーシップの変容を、アリストテレス政治学の伝統の衰退という、より広い歴史的パースペクティブの見地から位置づける作業を進めていきたい。
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