今年度の研究は第一段階、即ち1930年から1945年までの朝鮮人と日本人が共有するに至った朝鮮人のイメージを調査分析した。主に『中央公論』、『朝鮮の文教』、『朝鮮及び満州』、『朝鮮』、『東洋』等、朝鮮植民地時代の後半期に朝鮮半島や朝鮮人に関しての意見が投載された雑誌を中心に検証を行った。この歴史の前半(1910年から1930年まで)に、朝鮮総督府は朝鮮半島の統治制度として同化政策を支持したが、この時期には政策は実施できなかった。1930年代に入ってすぐに満州事変が起こり、日本人の朝鮮人及び朝鮮半島に対してのイメージが「文化中心」から「産業中心」に移行していった。1937年7月に勃発した中国事変以降、日本もう朝鮮のイメージは更に変化した。戦争状態に突入してからは「内鮮一体」下で朝鮮半島及び朝鮮人をともに「資源」として考慮するようになった。 1930年代に入ってから朝鮮人による反日発言はなくなってしまうが、朝鮮人の親日的な発言の中にも批判の言葉は見られる。基本的に彼らは朝鮮半島における日本の存在に賛成した朝鮮人であったが、同化主義政策に対しては批判的であった。つまり、朝鮮総督府は日本の植民地政策では、日本人と朝鮮人は同等で同胞関係であるというような美談を口から発しても、実際には朝鮮人を日本人の同胞として認めていなかった。 来年度の研究は第二段階、即ち冷戦前半(1945年から1970年まで)日本人と朝鮮人が共有するに至った朝鮮半島に対するイメージを調査が折する予定である。日本の戦前の朝鮮半島のイメージは日朝同源、日朝人、一視同仁、同胞、内朝一体等で表現されたが、戦後には日韓・日朝関係はのようなキーワードでイメージを作ろうとしたかを調査し、このキーワードと当時の現実がどこまで一致していたかを検討する。
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