本研究は、1945年から1950年代にかけての韓国公企業を対象に、企業内の処遇制度の変化とそれを促した諸要因を実証的に検討することによって、韓国雇用制度史を再構築しようとする試みである。具体的な研究内容としては、第一に、旧電力3社の人事処遇制度の変動を軸にした検討がなされた。第二に、1953年に制定された勤労基準法の制定過程を、有給休暇制度や退職金制度に関わる条項を中心に跡づけた。そこで確認された事実がどのような含意をもつかについては今後さらなる検討が求められるが、取りあえず中間まとめとして、以下のような成果が明らかになった。第一に、韓国雇用制度史の観点からは、実証的裏付けを持って、日本の植民地期と現代韓国の間の連続と断絶を語れるようになった。即ち生活保障型処遇制度は植民地期に主に日本人である職員層や役付工員層を対象にして形成されたが、解放後は韓国の一部公企業において従業員全体を包摂する制度として再編された。それは、単に一部公企業の慣行に止まっただけでなく、韓国社会における「よいジョブ」「あるまじき処遇制度」の規範形成に強い影響を与えた。例えば、1953年の勤労基準法については、一握りの開明的エリートが当時の経済的実態を無視して過度な労働保護法を制定したと解釈されてきた。しかしそれは大衆に広く形成された規範意識に裏打ちされており、だからこそ、その後の経済開発過程で民間企業の労務管理を制約していく社会的前提となったのである。第二に、企業福祉は伝統的に日本企業のお家芸とされてきた。しかし最近の研究によればアメリカでもそのような伝統は根強い。社会保障の一部を企業に求める傾向に普遍性が認められたとすれば、今後はその一例として韓国を如何に位置づけるかが問われてくるだろう。
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