本年度は、昨年度からの課題である、『歴代宝案』、『評定所文書』等から琉球王朝時期の疾病の推移を示す史料を抽出する作業を継続し、現在までに、ほぼその作業を終えた。これによって、琉球王朝時期の疾病構造を示す史料のデータを蓄積した。 これに加えて、本年度は、明治国家への編入以後、第二次大戦時期までの統計資料を整理し、さらに米軍統治時期についても統治機構の行政文書であるUSCAR文書を整理し、長期的な時間軸の中で、琉球・沖縄の疾病構造の推移を示す史料を系統的に蓄積した。 以上の史料の本格的な分析は、次年度以後の課題であるが、こうした成果にもとづいて、中間的な成果を、香港浸会大学の国際会議、アジア政経学会大会(沖縄)等で発表した。 琉球・沖縄の疾病構造、とくに感染症の推移の中で、重要な位置を占めたのは、琉球王朝時期には、天然痘と麻疹であり、19世紀初期からこれにコレラが加わる。 マラリアは、一貫して重要な死因のひとつであったが、本格的な対策が行われるようになったのは、20世紀に入ってからであり、具体的な対策としては、台湾植民地で実施されていた防遏方法が導入された。この方法は、血液検査を軸とする対人的な方法を特徴としていた。 これに対して、第二次大戦以後導入された方法は、DDTを中心とする環境へのはたらきかけによって、マラリアを媒介するアノフェレス蚊をいなくするという対蚊(環境)的な方法であった。こうしたマラリア対策の推移は、国際連盟保健機関や戦後のWHOに代表される国際的な防遏方法の推移の中で展開された。 こうした防遏対策の推移とサトウキビ作と米作という農業構造の推移が琉球・沖縄のマラリアの発生状況、防遏に関係していたと考えられるが、この問題については、次年度以後も継続的に検討する予定である。
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