本年度も、琉球王朝時期の文書である「歴代宝案」、沖縄県行政資料(統計資料を含む)、米軍統治時期の行政資料であるUSCAR文書、琉球政府文書などの一次史料を中心に分析を進めた。中間的なまとめは、ブエノスアイレスで開催された国際経済史会議(2002年7月)及び八重山歴史研究会(2002年11月)で発表した。 その内容は、以下の通りである。 琉球・沖縄の環境変化と人口動態、社会変容を集約的に示す問題にマラリアの流行とその防遏対策の推移がある。マラリアの流行自体が農業構造の変化を背景としており、19世紀末から開始されたマラリア防遏対策は、3期に時期区分できるものであった。 第一の時期は、19世紀末のマラリア調査を背景とする対策への着手とその本格化の時期である。本格的な対策は、1920年代になってから進められたが、中心的な対策は、マラリア原虫に対する対人的な対策(ヒューマン・アプローチ)であった。この対策は一定の効果を収めたが、マラリアを完全にコントロールすることは出来なかった。 第二の時期は、1945年の戦争マラリア事件をはさんでの、琉球政府によるマラリア対策である。この時期の特徴は、マラリア原虫を媒介するアノフェレス蚊への対策を中心としたことにあった(アノフェレス・アプローチ)。この結果として、マラリアは次第にコントロールされることになったが、1950年代の移民の導入は、ふたたび環境の変化をもたらし、マラリアの流行が顕在化することになった。 第三の時期は、米軍の指導のもとでのウィラー・プランの時期である。DDTの大量使用によって、アノフェレス蚊への対策が進められ、結果として、1960年代には、マラリアは根絶されるに至った。
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