研究概要 |
本年度は、まず、カロリング王朝の支配の及ばない中世初期イタリア社会の一例として、漁業も活発に行いながら製塩業を基盤として、ヴェネツィア社会がどのように形成されたか、Hocque,Ortalliらの基礎的文献から検討した。その結果、以下の点が確認された。 1 ラグーナ(干潟)地域での製塩業は6世紀から文献でも確認されるが、中世初期のヴェネツィアの製塩業は、10世紀後半から12世紀末までを時代的まとまりとして、修道院や有力家系による塩田の大所有が細分化していく過程として捉えられる。 2 塩田で実際の製塩作業に従事する者は、コンソルツィと呼ばれる組織をつくっており、この集団が都市の自治機構の成立や後の領主との封建関係に与えた影響は大きい。 3 中世初期のポー河流域の北イタリア商業網については、文献史料から強調されてきた従来の都市的集落の重要性が相対化されつつある。だがヴェネツィアは、中世後期とは比肩すべくもないが、初期にも在地王権との約定などから、アドリア海域での交易活動の活発さが確認される。 今後は、製塩業を経営する大領主が塩商業とどのように結びついているのか、またこうした有力家系が都市の自治機構の形成にどれほどの影響力を持ち得たのか考察するために、基本的文献を読み込む。また、北イタリア一般で活発になってきている中世考古学の成果の中に、中世初期ヴェネト地方を対象として特にヴェネツィア研究に新たな知見を付け加える研究動向がないか、サーベイすることを付け加えたい。
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