研究成果は、以下の5点にまとめられる。 第1に、中世盛期までに、ヴェネツィアと競合する製塩地とその定住地を検討した。10世紀まではコマッキオ、(アドリア海沿岸)、11-12世紀にはキオッジャ(ラグーナ南端)、13世紀にはチェルヴィア(アドリア海沿岸)が、ヴェネツィアと競合する製塩地であった。いずれの時期でも、最終的にはヴェネツィアが優位にたっている。 第2に、製塩業・塩商業は、11-12世紀以前には、塩市場は限定されているものの、商業自体は自由に行われているため、塩税の課税がない分、価格は低い。それ以降は、塩税収入が大きくなってくるため、製塩業と塩商業の掌握が、領主側には重要になってくる。 第3に、もともとの製塩地を修道院や司教などの在地領主が所有し、農民保有地のように領民に分与して塩田として使用させる場合、製塩業自体に封建領主が関与する度合いは大きくなる。たとえば、チェルヴィアの場合、封建領主はラヴェンナ大司教だった。ラヴェンナ大司教は塩の利益をめぐり、ヴェネツィアに加え教皇庁とも、対立関係に陥った。 第4に、塩の供給側ではなく消費側から史料を検索する必要がある。そこで中世食物史の成果から、塩が食生活の中にどれほど浸透しており、必需品かを検討した。保存食としての塩漬け豚、チーズ、塩漬け魚を準備するのに、大量の塩が必要である点が確認される。こうした記録を残している修道院経済の史料を再検討することは、特に興味深い。 第5に、中世初期の塩をめぐる史料は多くはないが、中世初期商業の研究史の検討から、少なくとも農村市場で塩を、農民が購入する可能性については、明らかにあると想定されいる。
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