戦後の昭和電工の戦略的な意思決定で注目すべきは4点が明らかになった。まず、アルミをめぐるビジネスについて。カイザーと提携アルミに進出しようとしていた八幡製鉄所を取り込んでスカイ(昭和電工のS、カイザーのK、八幡のY)アルミを成立させ、同社の経営権を掌握したことである。戦前の同社では見られないような卓抜な経営構想力が発揮されたこと。次いで、アルミの構造的な不況業種化をいち早く察知していち早く撤退の意思決定をしたこと。住友が構造的な不況業種にアルミ事業が落ち込んでいくまさにその時、山形県酒田に設備投資を強行した意思決定の対極をなす。また、不況期に大分石油化学コンビナートの第2期工事を敢行したこと。資金問題に悩んでいた昭和電工は不況期における資金調達の容易さに大いに助けられその後の石油化学事業の展開に展望を与えた。そして最後に、阿賀野川の公害問題において、裁判で争うことを避けて和解に応じる決定をしたこと。公害問題と常に背中合わせの化学工業企業にとって、チッソの対極をなす誠実・見事な対応であった。 以上4点はいずれも安西正夫、鈴木治雄時代の戦略的な意思決定である。両者は波乱に富んだ戦前の昭和電工のマネジメントを担当した経営者である。彼らのあとに注目すべき経営者が出てこない、あるいは注目すべきマネジメントがみられないということは、他の化学工業企業と比較したとき、昭和電工という企業に戦前以来の特殊な性格が看取できるのではないかという見透しを抱かざるをえない。このような観点から今後昭和電工の戦後のビジネスについて実証的に研究を深めたい。
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