本研究の目的は、昆虫の脳の全領域の配線を明らかにするための第一歩として、ゴキブリを材料に、前大脳の基本配線様式を明らかにすることである。前大脳はキノコ体や中心体などの高次連合中枢とその関連領域から成り、昆虫の脳の統合機能の中心を担う領域である。まず最初に、前大脳の下降性ニューロンの網羅的な同定を進めた。頚部縦連合の切断端をニッケルとコバルトの混合液に浸して下降性ニューロンの軸索を逆行性標識し、下降性ニューロンの細胞体の位置と数、およびそれらのニューロンの樹状突起の分布の詳細についての解析を更に進めた結果、ゴキブリの脳の感覚中枢から胸部神経節の運動中枢が極めて多数の並列経路によって結ばれていることを明確に示す証拠が得られた。さらに脳の感覚中枢からキノコ体や中心体などの連合中枢を経由する経路は、前大脳前葉や側葉など一部の前運動中枢のみを支配していることを示す証拠が得られた。すなわち、ゴキブリの脳は多数の並列回路から構成されるが、部分的には階層性を併せ持つことを、初めて明らかにすることができた。次に、前大脳側葉の入出力様式についての研究に着手した。前大脳側葉のニューロンに微小電極を刺入してその応答を記録したのち、蛍光色素を注入しその形態を観察し解析した結果、触角葉からの投射ニューロンやキノコ体からの投射ニューロンが、側葉内で極めて複雑なしかし秩序だった終末様式を持つことが明らかになった。この発見は、側葉には秩序だった構造はないとの従来の定説を覆すものであり、今後、側葉の神経構築の更なる解明に迫るための重要な手がかりとなる。
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