本論考では旧小湾住民の「住まう」という視点から1)沖縄戦における疎開状況、それに連続する戦後の収容所生活、2)そして郷里に戻ることができず移住地での開拓生活、3)戦後初めての家つくり、4)都市化による住宅の変化、それらの変遷を資料、アンケート、聞取りにより抽出することによって戦後小湾住民の住空間とその環境を明らかにした。 現在の小湾は那覇のベッドタウンとして栄え、移住当時の面影はほとんど残っていない。そして戦後の混乱により限定された地域の資料なども残されていない。よって手掛かりとなる基本は、体験に基づく住民の記憶である。50年程前からの記憶がどれほど確実なものか確認をせねばならないが、多くのアンケートや聞き取りの重ね合わせ、記憶のキーとなる都市のインフラストラクチャー建設時期など公的資料の照合によって、抽出結果については、ほぼ一致していることがわかった。移住当時の景観は残っていないが、地理的条件に従った道路網の構造は、地図による経年変化をみても変わっていないことがわかった。 疎開から収容所生活に入り、それぞれに体験した過密な共同生活。90坪程の1屋敷地に、9棟の自力による小屋を建て50名程が暮らした山原での生活。身体を折り曲げて寝なければならない極限的空間のところもあった。小屋は原始そのままで、掘立て草葺き、土間に初原的な三ツ石のかまどを据えていた。軍用テントでも同様でゼロからの住空間構築は、プリミティブな空間構成を表出していた。移住地における米国民政府配給による2×4部材の新住居では、番座や土間や竈など伝統的配置が抽出できた。新建材のコンクリート・ブロック、鉄筋コンクリートが現れても、その用い方は伝統的民家のそれを受け継いでいたこと。 しかし都市化の進行と生業が大きく変わり情報社会を向かえることで、特に1980年代以降のRC住居は伝統性から自由な形態へと変化したことがわかった。
|