研究概要 |
この調査研究の目的は、橋本市中心市街地土地区画整理事業に伴い、消滅する伝統的な町家群とその都市域の学術調査を行い、記録を作成してこれを後世に伝えることである。 調査は建物の現存状況を把握するため、1軒ごとに外観調査を行い台帳化した。ついで変遷と特徴を明らかにするために、年代や地域的特色を示している60件程度の建築を選び,実測調査を行った。なお既に取り壊しにあったり,市に買収されたりした建物もあったが、これらは新建材を撤去して徹底的な復原調査を行った。このほか都市構造調査、発掘調査、文献調査、写真撮影を行った。橋本の町並みは河岸段丘上に立地する点に大きな特徴があり、橋本と東家を縦貫して延びる大和街道を軸として、起伏に富んだ地形に町が形成されている。街道沿いの敷地割は、間口が狭く奥行が長い短冊状の敷地が並ぶが、間口にはばらつきがあり一様でない。これは江戸時代から敷地の分割や統合が行われているためで、一つの建物を分割使用している例もあり、商家の入れ替わりは激しかったと推測できる。 橋本の町家を大別すると間口12-14mほどの町家と、間口4-6mほどの小規模なものがあり、そのほかに長屋が数多くある。明治時代までは、切妻造り屋根の二階建で、前後に庇を付け外壁を一面に土で塗った家が多い。町家の間取りは通り土間に一列の部屋列を並べるものと、二列の部屋列を並べるものがあり、また土間の下手にさらに部屋列を持つ例があった。部屋列が二列のものでは四室からなるものが一つの典型である。梁間は規模の大きな町家でも8mほどで、奥行の深い京都の町家とは異なっており、もとは町家というより農家建築が祖形であるとみることができる。
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