【神社建築】 1.近世神社建築を代表するのは権現造であり、為政者側の造営で江戸時代を代表する遺構は東照宮である。重要なことはそれが各地に勧請され影響を与えたが一様ではなく、御三家でもその意匠や構成に差違がある。それとともに地方大名や社寺で東照宮が造立され、禅宗寺院にも大名の廟が営まれた。 2.権現造の先行形態としての大崎八幡宮・北野天満宮は意匠的にも構造的にもそれまでの伝統の総決算として桃山様式基調(本殿は入母屋造で極彩色)となり、この成立と流れと東照宮系建築とを比較し、それらと江戸時代の権現造との意匠の在り方を比較検討中。 3.以上の検討結果と現在、重文に指定ないし在郷にあり、庶民階級・庶民信仰の神社の江戸時代の遺構の様式と意匠を比較検討した。彩色は関西は極彩色で彫刻類は少な目で、関東は素木造が多く、素木造の本殿と彫刻の多用との関連性が認められる。定型的な流造にしても関西以西では出組・二手先支輪付きとするものが早くで、禅宗様の採用は後れ、関東圏では禅宗様として尾垂木まで挿入する例が江戸後半からみられ始める。 【寺院建築】 1.為政者と関連する近世寺院の多くは大規模で、その意匠を誇るためにも禅宗様を濃厚に採用する。江戸時代を代表する札所寺院のうち、西国三十三所霊場寺院の建築や旧密教系の仏堂の空間の変質・発展の過程を反映すると共に、様式・意匠の在り方も近世初頭のものは保守的であるが、鎌倉新仏教の宗派では日蓮宗本堂内陣に近世に入り濃厚な禅宗様を採用し、邸宅風な浄土・浄土真宗本堂は本山格寺院では禅宗様化が顕著であるのに対して、庶民階級の一般末寺では内陣来迎柱上ないし内外陣境に限られ外陣も江戸時代中期末まで質素である。 2.建築の地域性・施主と建築の関わり方などは、関西(和様が中心)と関東(禅宗様が流行)、江戸と地方(近畿を除く)、都市部と農村部で建築様式・意匠の選択があり、その伝統はかなり尾を引くと同時に、影響が認められる。巨大な仏堂で使用されている立上らせ柱は邸宅風な本堂を仏堂化する過程で得られたものと推定され、通し柱の使用は近世的である。 3.著名寺院の再建を通じて折衷様化がどのように始まり、規模や意匠とどのように関連するのか、また近世社寺建築は様式・意匠によりどのような様式史区分ができるか、今年度、収集した資料を通じて検討する。桃山時代と江戸時代の遺構の様式・意匠についても再検討する。
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