・科学の一般的認識について:近年、科学技術の日常生活への普及によって、一般社会において問題とされるものには、影響が微妙で科学的決定が困難なケースが多い。遺伝子粗み換え食物の安全性、低線量放射線の影響、BSE肉摂取後の人体への影響、微量な環境ホルモンの影響などは、いずれも危険性を確定するには、膨大なサンプル数と研究時間が必要なケースであるにもかかわらず、社会的意志決定がなされなくてはならない問題である。このように不確定な被害が想定される場合、当該事象が起きた時に生ずる被害の大きさと、それが起こる確率をかけた被害期待値をリスクとするリスク論で語られるが、一般市民の理解とズレが生じることや、放射線防護の場合のように期待値よりも被害予想最大値をもって意志決定の参考とすることも合理性を持ちうることなどを指摘した。この場合、科学の役割は安全性や危険性を立証すること、あるいは唯一のリスク解を算出することだけではなく、原理的な可能性を一般に分かりやすく提示し、社会的意志決定にゆだねることが、社会化された科学技術的問題に対する役割を果たしうることにつながることを例証した。 ・「植物人間」の語の普及について:植物的状態なる概念はアリストテレス以来使用されてきた。19世紀初頭のビシャーでも同様な概念が存在する。ビシャーは臨床医学派・パリ学派の主要人物であるから、近代医学が制度化される際に存在したのは、植物的状態であった。これが1970年前後に植物状態の患者、植物状態の人間という概念ができ、さらにそれが一般に流布する際に「植物人間」なる概念が構成されたことが判明した。
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