・取材作業では、主に脳死問題を含めた死生観について取材を行った。まず日本では、脳死論議以前に「三徴候説」のような死の基準は法的には一定せず、むしろ法曹界は医者に一任することをもってよしとする傾向があり、死の基準を法律の場に乗せることは少なかったということが示唆された。専門家と公衆の関係という点で言えば、医療専門家が積極的に「脳死概念」を提唱したにもかかわらず、一般に浸透していないという現状は、公衆にとって脳死を死とする考えは受け入れやすい科学概念ではないということが考えられる。 ・また一方、中国の伝統的な医療では、生きている者のみが医療の対象であって、死にゆく者は医療の対象とは考えられなかったとされている。よって、死の判定基準を医者が設けるという発想は東洋医学の場においても希薄であったことが考えられる。さらに緻密な世界観、生命観に裏打ちされた中国医学が近世日本にはいる時には、背後の生命観は捨象され、純粋に技術として吸収されていく過程は、現代日本社会の科学の受容過程を考える上でもきわめて示唆的である。 ・現代社会における専門家と公衆の間の科学知識の問題については、廣野は吉野川の例をあげ、科学知識の専門家を中心とする意志決定から、市民科学の登場により新たな公共空間での意志決定の場が登場した状況を報告した。堂前は、経済活動の流れがBSEや異種移植によって、種を相対的に見る新たな生命観が立ち上がろうとしている点、野生生物への知識の偏りが都市野生動物を受け入れない傾向を生み出し、それが「タマちゃん」騒動を引き起こしている点を指摘した。また、堂前は市民科学がもたらす公共空間の科学知識媒体の必要を唱え、大学紀要の利用を提唱した。
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