本研究の目的は、青森県脇野沢村における高度経済成長期以前と以後の、地域社会のありかたと変質を解明することにある。かつて脇野沢は、西廻り航路の寄港地として繁栄し、その後、明治末期以降、鱈漁業の繁栄とともに、漁師町あるいは周辺地域の中心地として存立してきた。人々はさまざまな生業を組み合わせて生活し、脇野沢は我々の予想以上に広い関係圏のなかで成立していた。人口も流入と流出の均衡がとれ、持続的社会が維持されていたと考えられる。しかし、高度経済成長期以降、鱈漁業が不振になり、かつてから存続していた他所稼ぎの部門が肥大化し、出稼ぎ村に変貌した。それとともに次第に人口が流失し、過疎の村に変貌するに至った。今や年金世帯が著しく増加している。それゆえ、この研究では、明治以降の生業形態を復原することを通して、そのありかたを地域間関係、社会的流動性に着目しつつ検討する。 以上のような課題に対して、三つの作業を進めつつある。まず第一は、明治初期、昭和前期(20年代)、平成期における各世帯の生業形態の復原図を作成した。第二は、明治21年から昭和26年まで利用された土地台帳の整理。第三は、明治期以降の、除籍簿からみた人口流動の復原である。第一の調査からは、上に述べた仮説が、ほぼ証明しえることが判明した。また、第二の調査によって、社会的流動性の激しさから脇野沢の町的性格や漁業の重要性が指摘できる。現在、人口流動や出稼ぎに関する実態調査を進めつつあり、他所稼ぎの村がなぜ、どのようにして出稼ぎや年金村に変質していくのかを考察中である。
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