1.本研究のテーマを明らかにするため、本年度は前年度につづいて1920年代を中心に漢人が満州地域へどのような背景と移動形態をとりながら流入したか、それが満州地域の地域システムをどのように形成したかについてより具体的な分析をすすめた。そのさい、当時のデータのベースになる各県の領域の設定に多大な時間を要したため、研究成果に遅れが生じた。 2.得られた結果を要約すれば以下の通りである。 (1)基本的には20世紀直前まで漢人の流入を認めなかった満州は、19世紀末からのロシア勢力の南下にともない急拠漢人の流入を認めるに至った。 (2)そのさい、中国民国期が始まると軍閥間の争いが本格化し、とりわけ満州に近い山東省は社会不安が増大する中で多くの農民が満州へ流出した。 (3)流出農民は当初季節労働者として雇用機会を求め、1920年代になるとそれがピークを迎えた。農地を開拓定着するのは、土地所有や厳しい気候環境下では容易でなく、既存の大地主や官僚の農地に雇用された。 (4)ハルピン以北への流入はきわめて少なく、北満の開拓は遅れた。 (5)以上の中で若干の都市が成長し、それらの都市と周辺農村関係がローカルな地域システムを生んだ。これがその後の満州の地域システムの原型である。
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