研究概要 |
トゥリカ派は所謂カシミール・シヴァ派の哲学体系を「再認識(pratyabhijna)」理論に基づいて再構築したのであるが,そこに何らかの形で仏教思想の影響が見られないか,という問題意識を懐きつつ一連の再認識論諸文献を読み直そうというのが本研究の眼目であった。Isvarapratyabhijna-karika(『主宰神再認識論頌』),それに対する抄註Vimarsiniおよび詳註Vivrtivimarsiniは,その冒頭において再認識論の世界観が提示された後,異論者たちの諸見解が紹介されるのであるが,特に仏教の無我思想が最大の批判対象となっている。しかし,そこに展開される議論は,既に古くからインド正統哲学諸派により為されてきた常套的な仏教批判の論法を踏襲するものであって新鮮味はない。例えば,同じく仏教を標榜している諸部派の教説が相矛盾する点を指摘するなど。無我思想批判に関しても,おそらくはニヤーヤ学派のアートマン論証ないしは主宰神論証を流用しているのではないかと思われる。注目すべきは,再認識論者が仏教の唯識思想に一定の理解を示し,それを推し進めたところに自派の理論が成立すると示唆している点であろう。再認識論とは宇宙的な広がりをもつ実在的な唯識論であると言えるかもしれない。そこでの議論は表面的には日常経験レヴェルの認識論的問題に終始しているかのように見えるのであるが,実は神秘主義的体験が論じられているようである。密教的な宗教体験という深みにおいては,仏教とシヴァ派は相通ずるものがあるのではないだろうか。今後さらにこのような視点からも研究を続行してゆく所存である。また本年度は,仏教に限らずあらゆる宗教現象において重要と思われる「自力」と「他力」という問題について,シヴァ教における対照的な二派たるトゥリカ派とシャイヴァ・シッダーンタ派とを対比させて考察した。
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