法人類学や法社会学で問題となる「法と宗教との関係」について、あるいは法実証主義と自然法論者との間の論争で問題となる「法と道徳との関係」についての考察を行なう中で、両者の問題を宗教学的な視点から考察する可能性としての「世俗化論」の有効性が確認された。 世俗化した社会としての近代における法と宗教(あるいは道徳)との関係は、元来前者が「基礎付けられるもの」、後者が「基礎付けるもの」という関係にあったが、前者が「世俗化」によって喪失、あるいは相対化されることによって、後者が自律したことによって生じた。しかし元来「基礎付けられるもの」である後者は何らかの基礎付けを必要としているのであり、そこに理論的な分離にもかかわらず、両者の関係がなお問われねばならない理由がある。すなわち「基礎付けられるもの」と「基礎付けるもの」の関係構造だけが残ったのが今日の法の妥当性や法の基礎付けに関する議論なのである。 そして明らかに「基礎付けるもの」は、今日では「宗教的なもの」である必要はないが、「宗教的もの」が担っていた役割を担うことを求められている。それ故に法の基礎付けはしばしば形而上学的な領域を必要とするようになる。そしてそこにこの問題についての宗教学的な考察が必要となる理由がある。
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