本研究の趣旨は、科学テクノロジーに内在すると思われる「倒錯性」を、ジャック・ラカンの精神分析に依拠しつつ解明しようとするものである。そのさい、一方では、心理臨床の分野から得られるデータによって、今日のいわゆる「ポスト神経症」の病理のうちに見られる倒錯性から、倒錯の本質を取り出し、それを裏づけること、他方では、20世紀哲学思想のうちに現れたさまざまな科学論のうちに、この問題にかんするラカンの立場と呼応するものを見出すこと、が目指されている。 報告者の今年度の成果としては、心理臨床の分野から期待通りのデータが得られなかったものの、7月の渡仏のおりに集めることのできた諸文献から、多くの重要な示唆を得ることができたことが挙げられる。それらの示唆によって目下詰めを行っている理論的作業は、手短に、以下のようにまとめることができる: 1)本研究によって再定義される「倒錯」とは、たんなる性的傾向の逸脱のことではなく、現実との関係のあり方の根本的な変質である。科学テクノロジーは、この変質を大規模にもたらすものとして位置づけられうる。 2)倒錯における主体と対象との関係の特徴をなすのは、対象の個別性(特定性)が消去され、対象がいわば無差別化されるという点である。こうした対象の無差別化によって、それらの対象は純粋に機能的な水準に置かれるようになる。 3)対象が無差別化されるとき、欲望は純化され、精神分析的意味での欲動に近づく。純化された欲望の領域とは、倫理の領域である。だが倒錯は、その無加工性において欲望満足の短絡路をつくる。科学テクノロジーは、倒錯のもつこうした性質をほかの何にもまして共有し、なおかつ、現代社会のなかでそれを大がかりに実演しうる力を備えている。それは、ある意味では、科学による倫理的領域の侵犯である。 以上の点をより明確にし、それらを相互に有機的に関係づけることが、来年度の課題である。
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