平成12年度はまずドイツ宗教改革期における裸体図像およびその受容の諸相を明らかにする作業の手始めとして、クラーナハを中心としつつ周辺諸画家の関連作品を分類整理し、設備費により購入したパソコンにデータを入力した。並行して行なった具体的図像の調査研究では、特にルクレティア図像に重点を置き、図像資料および文献史料の調査を進めたところ、以下のような新たな知見が得られた。 クラーナハをはじめドイツ宗教改革期の画家たちの多くが古代ローマの伝説的婦人ルクレティアを好んで描いている。貞女の鑑とみなされ、その自殺がローマ共和政誕生の契機とされるルクレティアの図像は教訓画と捉えられがちだが、それにしては全裸もしくは半裸による自殺という明らかにテクストから乖離した表現が多数認められる。中でも殊に興味深いのはヒューストン美術館所蔵のルクレティア像であり、この作品においては従来看過されてきたが、実は後景の山岳が明らかにファロスの形状をなしている。つまり苦しげに自殺する半裸のルクレティアの背景に、その自殺の原因が明瞭に示されていることになる。このような知的にして淫靡な作品にはどのような背景が考えられるのかを明らかにすべく、人文主義者関連の文献やイタリアの作例を探索したところ、この時期のいわゆる教訓画が好色画と表裏一体となっていたことを裏付ける史料が多々認められた。これによりこの時期の裸体画は、時と場合によって教訓にもまたポルノグラフィーにもなりうる二元性を与えられていた可能性が高いことが指摘できた。その具体的な論証は東京学芸大学造形芸術学・演劇学研究室紀要上の論文において行なった。またミュンヘンを中心とした南ドイツ地方において関連作品および文献史料の調査も行なった。
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