本研究は、比較的軽度の失語症をもつ患者から得られた質的データをもとに、当事者のライフストーリーにおいて失語症がどのような意味として表れるのか検討したものである。現在までのところまとめられているライフストーリーはHさん(男性、50才)のものである。彼は94年に、脳血管障害による非流暢型の失語症と診断され、現在でも長時間にわたる複雑な内容の会話は困難である。長期にわたる参加観察のほか集中的なライフストーリー面接が行われ、得られた語りデータはグラウンディッドセオリー法によって分析された。失語症に伴う障害は、語りのなかで以下のような複数の意味として現れた。a)自分のネガティブな変化としての失語:失語はまず、自己の変化に基づく対人場面の困難として体験される。例えば、入院初期に家族に面会した際の苦しさは、言葉を発することができないことの直接的帰結として語られた。b)自分への挑戦としての失語:Hさんは障害者のスポーツ大会を見たことをきっかけとして、アスリートが自分や記録と闘うように失語を自分に対する挑戦とみなし始めた。ここで失語は自分の力を試すための試金石である。c)共有の障害としての失語:Hさんは現在、失語症は自分だけの障害ではなく、他の失語症者と共有する障害と感じている。ここで失語症は、他の失語症者と自分の共通性を示す記号であり、それによって人間関係が作られる。d)社会的対象としての失語:「失語症」の概念は更に、社会のなかでの自分の役割を意識させる。Hさんは今失語症者に役に立つ活動をしたいと考え、自助グループを作って世話役を買って出る等の活動をしており、失語症を通じて自己に社会的意味を与えている。こうした複数の意味は現在のHさんにおいて、自己像との関連で重層的に共存しているように思われる。障害者の経験をモデル化する際には、単純な段階説ではなく、Hさんに見られたような意味の重層化という捉え方の方が適切ではないかということが示唆される。
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