今年度の研究は、(1)国立療養所「沖縄愛楽園」、「多磨全生園」と同園内の「ハンセン病資料館」での聞き取り調査を主としたフィールドワーク、ならびに資料・文献の蒐集、(2)蒐集した資料・文献に基く沖縄のハンセン病問題の歴史的現実の再構成の、二点を中心に行った。これらの作業を通して、(1)沖縄戦前後に途切れた「愛楽園」の園報や資料の発行状況、および沖縄のハンセン病関連の資料・文献の全体像が漸くみえてきたこと、(2)沖縄のハンセン病の歴史は、大きく分けて、「愛楽園」開園前の青木恵哉を中心とする患者救済活動、「愛楽園」開園から沖縄戦まで、終戦からアメリカ軍政府樹立後まで、「ダウル勧告」に基く在宅医療体制が確立される前後、そして「本土復帰」以降という六ステージに区分できることが明らかになった。入園者のライフヒストリーを社会学的理解のための解釈図式を作る上で、これらは大きな意味をもつ。さらに、今年度は、上記の研究成果の一部を踏まえ、沖縄社会の地縁的・血縁的共同性の強さを前提に、「愛楽園」開設以前の沖縄のハンセン病問題の歴史に関する論稿を上梓した。この論稿では、青木を中心とする沖縄のハンセン病患者の救済活動が数々の暴力的排除に遭遇したが、こうした現実が生み出された要因の一つとして、シマ(部落)の<地縁的秩序>に基く組織的規制があったことを指摘し、「無抵抗の戦い」を挑んだ青木らの活動がもつ社会学的な意味について、考察を試みた。 上記の如き成果を得たものの、沖縄と所縁のある熊本の「菊地恵楓園」や鹿児島の「星塚敬愛園」など、「本土」療養所内の沖縄出身者の生活史、先島のハンセン病問題、さらには第二次世界大戦前に八重山の患者を収容した台湾「楽生園」の歴史など、沖縄のハンセン病を取り巻く諸事情に関する研究課題が残った。
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