本研究の課題は次の保育職能団体の専門職化に関する機能の分析である。 (1)アメリカフレーベル協会(1877)(2)アメリカフレーベル連盟(1877-1881)(3)北アメリカフレーベル協会(1882-1884)(4)全米教育協会:幼稚園教育部会(1884-)(5)国際幼稚園連盟(1892-)(現在は国際児童教育協会)(6)全米乳幼児教育協会(1964-)(7)日本保育学会 当年は、一次資料を活用して、(1)〜(3)、(4)の1884年〜1910年、(5)の1892年〜1919年を分析し、また(6)と(7)における幼保一元化をめぐる近年の改革動向に関する日米比較を行った。結果以下が明らかになった。 (1)〜(3)の保育の専門性の基準はフレーベル主義であった。組織の形態は小規模で個人的人間関係を反映していた。専門職化の活動として、出版助成、推薦図書のリスト作成、養成認定がなされた。読み書き算の否定、遊びを中心とする保育独自の専門性の認識、その確立と維持が目指された。 1884年(3)と(4)が共同大会を開催し、以降保育職能団体は当時最大の教育職能団体に併合され一部会となった。他の教育領域との交流がなされ、保育関係者は当時の最新の学問知識を学び、教職の専門性の確立に関する議論と活動にふれ、保育独自の専門性の確立を目指す団体を必要とし、1892年(4)おいて(5)が設立された。 (4)と(5)では、保育の専門性の基準が学校教育と関連付けて提案され、1890年以降は、児童研究が専門知識・技術とされた。(5)は当初、推薦図書等既成の基準を整備し提示したが、1900年以降は自らが調査研究を行い、1910年代には養成カリキュラム報告書や保育カリキュラムを作成した。 (6)(7)を比較した結果、近年の保育の専門職化や質の向上を巡る改革が日本では行政主導だが、米国では職能団体主導であり、団体が提示した基準を行政が採用しており、この米国の今日的特徴が世紀転換期に形成されたことが明らかになった。
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