国民国家の形成を目指す過程で、国民に共有されるべき社会装置の一つとして、集合的記憶を何らかの表象として作り上げる作業が1990年代以降急速に行われた。国立公文書館の資料閲覧の利便性や公開性が進み、アジア文明博物館をはじめとした博物館・美術館の新設や、それらの情報ネットワーク化も同時に進められた。これらの場所で所蔵されている資料や文物に関する情報、歴史遺産や文化財の閲覧や利用が容易に可能となり、公共性が高まるようになった。また、英領植民地時代の建造物や資料が高く評価されるようになり、シンガポールの歴史の発端として、認識されるようになった。これらの理解は制度的な教育だけでなく、一般の人々の社会教育の機会をも利用して、深められるように改められた。ここに見られる歴史の再認識とその普及という活動と並んで、旧来においては目を向けられることのなかった植民地時代の学校や教会なども一度は撤去されたものの、場所を変えて再建され、史跡として加えられるようになった。 道教系寺廟の場合、他の宗教施設と比べ、1970年代に積極的に撤去されたものの、史跡や観光資源として活用可能なものは保存され公開されることになった。寺廟は、特定のサブ・エスニックグループとの結びつきが強く、コミュニティの拠点となることが成立の過程の上で多かったのであるが、そういった社会的結合を解体し、国家による「歴史の再編」に与した場合にのみ存続が可能となったため、神聖空間としての認識さえも、観光資源として消費されていく結果となった。しかし、それは国民国家を形成する側からの視点であり、寺廟から見ればまた異なった見え方をしている。こういった視点から、香港の道教系寺廟の活動に関して、シンガポールの道教団体がどのような態度を社会的に表明したのかに関する書評論文と、シンガポールの寺廟に関する論文を本研究の成果として発表した。
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