研究概要 |
近世前期の大庄屋行政区支配の実態解明という観点から、松本藩麻績組組手代(大庄屋)文書の構造分析を行った。同文書群は、50年以前に地元研究者の手によって一応の整理が行われているが、状文書に関する目録がほぼ未作成であり、目録総点数は440点余にとどまっていた。そこで、未整理文書を含めた全文書の目録再編成を行い、その結果、史料の総点数は旧目録の440点余から新たに2,309点に増加した。年代的には、水野氏改易=享保10(1725)年以前の史料が全史料の約8割を占め、とりわけ元禄期から享保期にかけての史料が中核をなしていることが明らかになった。内容的には、村文書の代表とでも言うべき検地帳や宗門改帳などが一切含まれておらず、それらに代わって、漆実や薪、小役といった小物成系の諸上納物に関連する史料が多く含まれていた。また、川欠地や奉公人に関する史料も多く存在しており、本文書群の特色の一班をなしている。その一方で、個別経営史料や居村関係文書はほとんど残されていない。以上から、同文書群は水野氏時代の組レベルの公文書に特化した史料群であることが理解され、一村レベルの社会構造分析や個別経営分析に関しては一定の制約が存在することが明らかとなった。かかる制約が存在するなかで、近世前期における松本藩組手代の特徴的機能を残存史料の点から簡単にまとめると、(1)本途物成以外の小物成・運上徴収に大きな任務を負っていた、(2)上流村々から川流しされてくる藩上納諸木の引き上げとその取締を統轄していた、(3)管下における犯罪者の「蔵込」処罰権を有していたことなどがあげられる。これらの特色は、年貢取立機能を主務とする名主・庄屋レベルとはことなる、大庄屋独自の機能と考えられ、職掌の変化と地域社会構造との関係分析が今後の重要な検討課題になっている。
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